アメリカ在住者が斬る、今回のアメリカ大統領選の特殊性と今後どうなるか [ニュース]
今回のアメリカ大統領選ですけれども 非常に異常な事態が起こってますね。
特にトップを走っているトランプ、 これはもうすごいですね、
これだけの暴言を吐きながら これだけの人種 差別にかかる暴言を吐きながら 岩田にトップに君臨してるわけですからね。
いまだにトップに君臨しているわけですから 驚いてしまいます。
一体アメリカの良心はどこにあるのでしょうか?
これを考えると 本当に以前の人種差別時代を思い返してしまいます。
アラバマ ミシシッピとか ルイジアナとかの 人種差別のひどいところで 州知事とか 警察署長などが公然と人種差別をおこなっていた あの当時の発言を思い出してしまいます。
というか まったくそのままですよね。
ですから このトランプになってしまったら アメリカは大変な事態になってしまうと思います。
ところで今日はと 最初はジェブ・ブッシュが優勢だと言われていましたが ふたをあけてみると何と選挙戦 早々に撤退してしまいました。
選挙はフタを開けてみるではわからないものですね。
共和党の候補の中で 一番まともそうに見えるのが今二位についているマルコ・ルビオ氏ではないでしょうか?
この人は ラテン系の血が入っている人ですが 顔を見ると 相当まともそうに見えますよね。
少なくともトランプよりは大分まともでしょうw
そして民主党についてですが 下馬評では クリントンが圧倒的にゆうせいだと言われていましたよね 。
ところが ふたをあけてみるとバーニー サンダースに肉薄されています というか ほとんど並ばれていますw
ラスベガスのある街では 同点決勝でトランプによって勝敗を決めたそうですw
それくらい苦戦している クリントン氏ですが 一方のバーニー サンダース氏、彼の公約は労働者の賃金を1時間あたり15ドルにするという公約です。
いまだに高い米の賃金ですが もしこういう公約が実現されたら アメリカの経済は大変なことになってしまいます。
失業者も増えることになるでしょう。
それがアメリカの労働者には分かっていないようです。
ですから民主党ではまともに見えるのは ヒラリー クリントン 共和党ではマルコ ルビオ氏 理想的にはこういう二人の一騎打ちだったらいいなというのが 私の見るところです。
以上 アメリカ在住のジェリーからでした。
「そもそもお前は誰なんだ」の石坂浩二が怒った有名な場面 [ニュース]
日本の俳優さんの中でも好感度は指折りの石坂浩二さん。
長年にわたってテレビ東京の番組「開運!なんでも鑑定団」の高視聴率を支えてきた、局にとっては大功労者のはずなのだが・・・
世間の常識ではわからない世界がテレビの世界にはあるらしい。
女性自身のサイトに視聴者から石坂浩二の発言が異常に少なすぎると投稿があったのはつい最近のこと。
その投稿から僅かな時間の中で石坂浩二さん番組降板と言う事態になってしまった。
石坂さんは確執の噂されるチーフプロデューサーとの仲を何でもないと男らしく否定はしているのだが・・
スポニチによると確執が起きた酒席での「事件」があったのは10年も前にさかのぼるという。
10年といえば長いようだが結構短いものだ。
その中で二人の関係が冷えたままになっていてもおかしくはない期間だ。
事実いじめとも受け止められる番組での石坂さんの発言の極端な少なさ。
あの大俳優に対して失礼ではないかと感じるのは私だけではないだろう。
商業的に見ても石坂さんを番組から失うのは曲にとっても大きなマイナスのはずだ。
石坂さんがやっているから視ているという人も少なくないはず。
日本の映画、ドラマの歴史の中で数々の伝説を記してきた石坂浩二さん。
横溝正史の金田一耕助役と良い、日本沈没といい、石坂浩二さん抜きでは考えられなかった作品も多い。
ウルトラQのナレーションなんかも石坂さんならではの柔らかいながら深みがあり神秘的な響きを持つ語だからこそハマったというのがあると思います。
特に私が好きだったのは山崎豊子原作「白い巨塔」唐沢寿明版における東貞蔵教授の役です。
その中に今回の騒動でも彼がもしかしたら感じているかもしれない怒りを見事に表した有名なシーンをご紹介します。
石坂さんといい周りの俳優さんたちといい千両役者揃いですよね ^_^
創始者に約9億の賠償命令のでたホットヨガのアメリカでの現地体験 [美容・健康]
九重親方の理事選の辞退ははたして人望の関係なのか [スポーツ]
地震 アラスカ 現地速報 M7.1 モロッコ、スペインでも [ニュース]
フォード日本市場から撤退の理由 [車]
恐怖症は遺伝から来ているのか? [ニュース]
Parents pass on their traumatic experiences to their offspring via their sperm and eggs, according to an animal study that could explain why some people seem to be born with irrational phobias.
Emory University researchers paired a mild electric shock with the a smell produced by the chemical acetophenone. They did this knowing the smell is responsible for activating a specific cell cluster in the nose and a particular "odor receptor" gene in the cells.
They then bred those mice in order to create a second generation, which showed increased sensitivity to the odor despite never having been exposed to it before. Even more stunning was the discovery of the same reaction in the third generation of mice, or grandchildren of those originally dealt the shock.
Dr. Kerry Ressler, a professor of psychiatry and behavioral sciences, and Brian Dias, the first author of the paper published in Nature Neuroscience and a postdoctoral fellow, were surprised upon further analysis to find that both the second and third generation of mice had noses with more M71 neurons, which contain a receptor capable of detecting acetophenone. Their brains also boasted larger M71 glomeruli, the area of the olfactory bubble that detects the chemical's odor.
"When Brian came in with the first set of data, we both just couldn't believe it," National Geographic quoted Ressler as saying. "I was like, 'Well, it must just be random, let's do it again.' And then it just kept working. We do a lot of behavior [experiments], but being able to see structural change that correlates with behavior is really pretty astounding."
In order to rule out the possibility that the increased sensitivity was somehow passed down from parent to child through instruction, the scientists gave a group of the offspring to other mice that then cared for them.
Still, the phenomenon remained, suggesting the changes are rooted in epigenetic alterations, or shifts in genetic expression.
Going forward, the researchers hope to uncover whether these effects are reversible and if they only occur with odors, as well as whether all sperm or eggs contain epigenetic marks affecting odor sensitivity.
小野田寛郎さん 逝去 [ニュース]
フィリピン、ルバング島のジャングルで終戦後30年間も戦いを続けてきた小野田寛郎さんが亡くなりました。
享年91歳。
小野田さんが発見された時のニュースを見た時、私は中学生でした。
その2年前に横井庄一さんがグアム島から28年ぶりに発見されて驚いていたところ、更なる驚きでした。
横井さんの場合、同郷の名古屋出身ということもあってさらに感慨が深かったものです。
この分ならこれからもこのような人が出てくるだろうなと当時考えていましたが、ついにそれ以降は出てきませんでしたね。
小野田さん発見に多大な貢献をされた鈴木某さんも小野田さん発見後まもなく夭逝されました。
横井さんは帰国後稼業の仕立屋を再開されていました。
小野田さんの場合、日本の退廃ぶりに失望されたのか、日本を離れ遠くブラジルで牧場を開かれました。
その後の生き様も非常に気骨を感じされられました。
以下がCNNの記事からの訳文です。
アメリカ人もこのような逆境で 努力してきた人をヒーローとして敬う気質があり、1面に掲載されていました。
Hiroo Onoda, Japanese soldier who long refused to surrender, dies at 91
Tokyo (CNN) -- Hiroo Onoda, a Japanese soldier who refused to stop fighting World War II until the 1970s, has died in Tokyo at the age of 91.
1970年代まで長年に渡り降伏を拒んだ日本兵の小野田寛郎さんが91歳で東京で亡くなりま
した。
During the war, Onoda was sent to the small island of Lubang in the western Philippines to spy on U.S. forces in the area.
戦時中、小野田さんはフィリピン西部ルバング島にあるアメリカ軍を偵察するため送られました。
He ended up remaining there, eking out a life in the jungle, until 1974, nearly three decades after Japan surrendered.
終戦後も彼はジャングルの中で1974まで生き延びました。
日本が降伏してからほぼ30年がたっていました。
Allied forces defeated the Japanese imperial army in the Philippines in 1944, but Onoda evaded capture and stayed on.
連合国軍が1944年に日本帝国陸軍を負かしましたが、小野田さんは捕まるのを逃れ当地に留まりました。
For about 30 years, he survived on food he gathered from the jungle or stole from local farmers.
そして約30年間、ジャングルや農家から食物を集めながら彼は生き延びました。
Believed to be a staunch imperial soldier, he refused to accept that Japan had lost the war.
誇り高き帝国軍人として、日本が戦争に負けたなどと信じられなかったのです。
He was eventually persuaded to come out of hiding in the jungle in 1974 after his former commanding officer traveled to Lubang to see him and tell him he was released from his military duties.
1974年元上官が島を訪れ、彼に全ての戦争の義務は終わったと聞かされ、やっと彼はジャングルから出てきました。
In his battered old army uniform, Onoda handed over his sword.
ボロと化した軍服を着ながら、上官に軍刀を手渡しました。
He returned to Japan, where he received a hero's welcome, a figure from a different era emerging into post-war modernity.
戦後見違えるほど変わった日本に帰った小野田さんを日本の民衆はヒーローとして暖かく迎えました。
But anger remained in the Philippines, where he was blamed for multiple killings.
しかしフィリピンには彼が複数の命を奪ったのではないかと疑念と怒りが残っていました。
The Philippines government pardoned him.
フィリピン政府は彼に謝罪しました。
But when he returned to Lubang in 1996, relatives of people he was accused of killing gathered to demand compensation.
しかし彼がルバング島に帰った1996年、彼が殺したと思い込んでいる人の遺族が賠償を請求しました。
After his return to Japan, he moved to Brazil in 1975 and set up a cattle ranch.
日本に帰った後、彼は1975年ブラジルに移住し牛牧場を始めました。
In 1984, he set up an organization, Onoda Shizenjyuku, to train young Japanese in the survival and camping skills he had acquired during his decades in Lubang's jungles.
そして1984年に彼は小野田自然塾という青少年に彼がルバング島で身を持って得た大自然でのサバイバルスキルを教える塾を開きました。
Hiroyasu Miwa, a staff member of the organization, said he died of pneumonia Thursday afternoon at St. Luke's Hospital in Tokyo. He had been sick since December.
その塾のスタッフである三輪さんは、小野田さんが東京の聖路加病院で肺炎でなくなったと伝えました。
前年の12月から罹患していたのです。
Onoda was born in March 1922 in Wakayama, western Japan, according to his organization. He was raised in a family with six siblings in a village near the ocean.
小野田さんは1922年に和歌山県で生まれ6人の兄弟とともに海辺の村で育ちました。
山本美香さん、シリアでの死に世界が衝撃 [ニュース]
日本の女性戦場ジャーナリスト、山本美香さんが月曜日、シリア北部の町アレッポで政府軍とみられる者たちから銃撃を受けて亡くなった。
謹んで山本さんのご冥福をお祈りいたします。
動画には山本さんの撮った最後の映像が残されている。
そこには、女性らしい目で赤ちゃんを抱いた人に話しかける、優しい山本さんの面影が垣間見られる。
世界のメディアも山本さんの死を悼み大きく報道した。
Japanese veteran war correspondent Mika Yamamoto was shot in the neck and killed, the Associated Press reported. The Daily News quoted Syrian rebel Captain Ahmed Ghazali saying in Youtube video: “We welcome any journalist who wants to enter Syria. We will secure their entry, but we are not responsible for the brutality of Assad’s forces against the media." "I hope that these countries that have not been moved by Syrian blood will be moved by the blood of their people," he added. In an interview, Yamamoto's father said his daughter "always stood against those with power and thought of as weak." "Whenever she was out on a reporting trip, I prayed for her safety. That's all I could do as a parent," he said.
(訳)日本の報道者、山本美香さんが銃撃され死亡した。
デイリーニュースはガザイ隊長の談話を伝えた。
「私たちはジャーナリストがシリアを取材してくれることを歓迎しています。
私たちは極力彼らの安全の為に努力します。
しかし、アサド軍の暴力の前には彼らを守り切れないこともあります。
彼らの報道によって、事態が速く終息することを願っています。」
そして、山本さんのお父さんへの取材として「娘の美香はいつも権力の前の弱い民衆の視点で働いていた。娘がどこへ取材へ行こうとも、私はいつも娘の安全の為祈っていた。それが親としてできる唯一の事だった。」
山本さんは山梨県の都留市出身、大学も地元の都留文科大学卒業。
筋金入りのジャーナリスト魂は親子二代に渡る記者人生から来るのだろうか。
華奢で美しい女性には考えられない過酷な戦場からのレポート。
しかし、山本さんは人一倍慎重だったと誰もが証言する。
山本さんは「死と生」についてこう考えていた。
「…小学生のころ、無性に死が怖くて眠れなかったことはありませんか? 私はものすごく怖がった方だから、あの恐怖には囚われないようにしています。戦場で死の恐怖にとらわれたら、体がすくんでどこにも行けなくなりますから。もちろん、いつかは誰もが死ぬわけですから、不死身だと思ってはいけないけれど、"自分は大丈夫"と暗示をかけるところはあります。生き残るために、これでもかっていう安全対策をしてきたんだから、って」
慎重すぎても生命を奪われてしまう。
そこがどうしようもない紛争地の怖ろしさだ。
「アフガンで、敵方のタリバン兵の姿がチラチラ見えるほど前線にいた時、こちらの陣地から…反タリバン同盟の兵士が、ロケット砲を撃ち込んだんです。撃つということは、こちら側の居場所も知られてしまうので、すぐ逃げなくてはいけないんですよ。でも中継の時間が迫っていたので、急いで機材を準備していました。すると「ヒューン」、敵から1発目が飛んできて、やや手前に落ちました。ショートですね。すると2発目が「ヒューン」。今度は距離はピッタリで、ややサイドにずれました。ということは次の3発目は…。キリキリと照準を合わせながら、だいたい3発で当てに来るんです。あわてて猛スピードで撤収して車で逃げました。それが一番、肝をつぶした経験ですね」
山本さんのジャーナリストとしてのキャリアは雲仙普賢岳からはじまる。
自然の猛威の中、生命を奪われる人達を取材する中に、取材対象は自然の脅威から人間の猛威へと移っていく。
コソボ、イラク、アフガン、ウガンダ・・・ 世界の紛争地域を渡り歩き、貴重な映像と情報を世界に発信し続けた。
その裏には権力による抗争の元で危険に晒される力なき人々への愛があった。
特に蹂躙される女性や子供たちの声を代弁するかのように発信を続けた。
平和な日本での生活からは想像もできない紛争地での日々。
70年前には日本もそのようなおそろしい紛争の舞台だった。
しかし、時の経過とともに戦争の怖ろしさを忘れ、隣人の苦しみにもともすれば忘れがちになってしまう。
山本さんはそんな世界に住む人々に過酷な環境に生きる人々のことを伝えたかったのだろう。
山本さんは亡くなっても、その遺志はフィルムや文章になって世界をゆすり続けていく。
これが山本さんの願いだったろうか.
山本さんの人生は私たちに「勇気とは何か」を改めて考えなおさせてくれる。
山本さんの著書はこちらです。
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ロングブレスダイエット、すぐ現れる効果と開発秘話 [ダイエット]
いま、美木良介さんの「ロングブレスダイエット」がものすごく流行ってますね (^^)
本の発行も160万部以上をこえ、ロングブレスダイエットを取り扱ったTV番組は、「中居正広の金曜日のスマたちへ」で、視聴率14、6%の大反響など、いずれも驚きの高視聴率で、 TV局各社はロンドン五輪のあとはこれだっと言っている所も多いとか。 (^_^;)
美木さんがこのロングブレスダイエットを開発したきっかけは自身が20年来という長く患った腰痛を何とか治したいという切実な動機から。
甲子園出場経験もある野球狂だった美木さんは、その優れたボディから疲れを知らぬように働き続けたが、加齢とともにその優れたボディも悲鳴をあげはじめた。
腰が痛み出したのだ。
持ち前の体力とファイトで痛む腰を抱えながらも頑張ってきた美木さんでしたが、とうとう限界が来ます。
一日中立っても座っても腰が痛むという状況になり、とうとう耐え切れずに仕事を休み、病院通い。
しかし、美木さんの腰痛を根本的に解決できる病院はどこにもなかった。
スポーツマンだった美木さんは元来、人間の体や筋肉に非常に興味を持っていた。
それに、持ち前の研究熱心な性格もあったのでしょう。
彼を知る人は「トレーナー以上に筋肉のことをよく知っている」と感心していました。
そんな美木さんが研究を続ける中、インナーマッスルというキーワードに行き渡ります。
この「インナーマッスル」を鍛えることが鍵なんじゃないか?
同時に美木さんは日本古来の武道から、「臍下丹田」の秘奥義を読みとり、
『臍下丹田』という言葉が何度も出てきたことから、ピンときたんです」
丹田とは、へそのすぐ下あたりにあって五臓の中心に位置すると考えられ、禅や武道において重視されている場所。
試行錯誤の末、丹田を締めるように呼吸するとインナーマッスルの腹横筋が最も収縮することに気づき、さらにその裏側にある多裂筋を鍛えれば腰痛になりにくいという文献も見つけた。
「この方向性は間違っていない」と、毎日鏡の前で夢中になって呼吸法を研究した。
こうして完成させたのが、ロングブレスだった。
呼吸法に没頭する中でいつしか美木さんの体はさらに磨き上げられたように美しく強くなり、 気がつけば腰痛は消え去っていた。
と同時に呼吸法の副産物としてお腹まわりスッキリ、割れてくびれた腹筋の美しいボディが残っていた。
美木さんは腹筋を意識して長く深い呼吸を1日2分、行うことで2か月で13キロの減量に成功したとのこと。
「最初は周りに『ガンなのか?』と疑われました」というほど、みるみる体重が落ちたそうです。
さらに、インナーマッスルが鍛えられたことで肉体改造に成功し、 「去年まではただのおっさんの体だったのに、人生で初めて腹筋が割れました」 と、自慢の筋肉美を披露したということでした。
モーニングバードに出演されていた三木さんによれば、 「女性だと1ヵ月でベルトの穴2つくらい (^^)はいけます。」 ということでした。
また、三木さんは手足が冷たくて布団かぶったり靴下履いて寝たり していたそうですが、ロングブレスダイエットをしてからは、手足が 暖かくなる効果も現れ、冬でも手足が冷たくならないと言うことです。
ロングブレスダイエット、1日2分で脱メタボ!!冷え性にも特効があるようです。(^_^)
横浜東邦病院 整形外科医 梅田嘉明院長によるロングブレスダイエットの 効果は、「筋肉の機能の中に代謝を促進させるような機能があるわけ なんですけど正常な筋肉が正常にエネルギーを消費することができると 痩せというか美容の効果は副産物として当然でてくるわけですよ。」とのこと。
ロングブレスダイエットは、横隔膜を締めることを意識しながら、 長く深く3秒吸って、7秒吐き切る計10秒のロングブレスを 6セット(計1分)行うだけの食べてもOK、道具も使わない、お金のかからない(笑) 呼吸だけの簡単エクササイズなんだそうです。
他のダイエットみたいにダイエットのためのダイエットじゃなくて、このロングブレスダイエットは体の筋肉を健康的に鍛えてその結果としてのダイエットだから、だれにでもすすめられそうです。
ネットで動画を拾ってもいいのですが ロングブレスダイエットの理論と正確なやり方を理解して行うと、効果が飛躍的にでるそうです。
くわしくはこちらです。
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