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山本美香さん、シリアでの死に世界が衝撃 [ニュース]

日本の女性戦場ジャーナリスト、山本美香さんが月曜日、シリア北部の町アレッポで政府軍とみられる者たちから銃撃を受けて亡くなった。

謹んで山本さんのご冥福をお祈りいたします。

動画には山本さんの撮った最後の映像が残されている。

そこには、女性らしい目で赤ちゃんを抱いた人に話しかける、優しい山本さんの面影が垣間見られる。

世界のメディアも山本さんの死を悼み大きく報道した。

Japanese veteran war correspondent Mika Yamamoto was shot in the neck and killed, the Associated Press reported. The Daily News quoted Syrian rebel Captain Ahmed Ghazali saying in Youtube video: “We welcome any journalist who wants to enter Syria. We will secure their entry, but we are not responsible for the brutality of Assad’s forces against the media." "I hope that these countries that have not been moved by Syrian blood will be moved by the blood of their people," he added. In an interview, Yamamoto's father said his daughter "always stood against those with power and thought of as weak." "Whenever she was out on a reporting trip, I prayed for her safety. That's all I could do as a parent," he said.

(訳)日本の報道者、山本美香さんが銃撃され死亡した。

   デイリーニュースはガザイ隊長の談話を伝えた。

   「私たちはジャーナリストがシリアを取材してくれることを歓迎しています。

    私たちは極力彼らの安全の為に努力します。

    しかし、アサド軍の暴力の前には彼らを守り切れないこともあります。

    彼らの報道によって、事態が速く終息することを願っています。」

   そして、山本さんのお父さんへの取材として「娘の美香はいつも権力の前の弱い民衆の視点で働いていた。娘がどこへ取材へ行こうとも、私はいつも娘の安全の為祈っていた。それが親としてできる唯一の事だった。」

 

山本さんは山梨県の都留市出身、大学も地元の都留文科大学卒業。

筋金入りのジャーナリスト魂は親子二代に渡る記者人生から来るのだろうか。

華奢で美しい女性には考えられない過酷な戦場からのレポート。

しかし、山本さんは人一倍慎重だったと誰もが証言する。

山本さんは「死と生」についてこう考えていた。

「…小学生のころ、無性に死が怖くて眠れなかったことはありませんか? 私はものすごく怖がった方だから、あの恐怖には囚われないようにしています。戦場で死の恐怖にとらわれたら、体がすくんでどこにも行けなくなりますから。もちろん、いつかは誰もが死ぬわけですから、不死身だと思ってはいけないけれど、"自分は大丈夫"と暗示をかけるところはあります。生き残るために、これでもかっていう安全対策をしてきたんだから、って」

慎重すぎても生命を奪われてしまう。

そこがどうしようもない紛争地の怖ろしさだ。

「アフガンで、敵方のタリバン兵の姿がチラチラ見えるほど前線にいた時、こちらの陣地から…反タリバン同盟の兵士が、ロケット砲を撃ち込んだんです。撃つということは、こちら側の居場所も知られてしまうので、すぐ逃げなくてはいけないんですよ。でも中継の時間が迫っていたので、急いで機材を準備していました。すると「ヒューン」、敵から1発目が飛んできて、やや手前に落ちました。ショートですね。すると2発目が「ヒューン」。今度は距離はピッタリで、ややサイドにずれました。ということは次の3発目は…。キリキリと照準を合わせながら、だいたい3発で当てに来るんです。あわてて猛スピードで撤収して車で逃げました。それが一番、肝をつぶした経験ですね」

山本さんのジャーナリストとしてのキャリアは雲仙普賢岳からはじまる。

自然の猛威の中、生命を奪われる人達を取材する中に、取材対象は自然の脅威から人間の猛威へと移っていく。

コソボ、イラク、アフガン、ウガンダ・・・ 世界の紛争地域を渡り歩き、貴重な映像と情報を世界に発信し続けた。

その裏には権力による抗争の元で危険に晒される力なき人々への愛があった。

特に蹂躙される女性や子供たちの声を代弁するかのように発信を続けた。

平和な日本での生活からは想像もできない紛争地での日々。

70年前には日本もそのようなおそろしい紛争の舞台だった。

しかし、時の経過とともに戦争の怖ろしさを忘れ、隣人の苦しみにもともすれば忘れがちになってしまう。

山本さんはそんな世界に住む人々に過酷な環境に生きる人々のことを伝えたかったのだろう。

山本さんは亡くなっても、その遺志はフィルムや文章になって世界をゆすり続けていく。

これが山本さんの願いだったろうか.

 

山本さんの人生は私たちに「勇気とは何か」を改めて考えなおさせてくれる。

山本さんの著書はこちらです。

世の中への扉 戦争を取材する─子どもたちは何を体験したのか

1260円

ぼくの村は戦場だった。

1575円




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